 |
|
|
|
|
|
ーバスケット始めたのはいつですか?
小学校3年生の4月ですね
ーキッカケは?
地元のスポーツセンターみたいなところでバスケットの講義?というか講習があって、5人兄弟のうちの、僕真ん中なんですけど、上2人が入っていたんで「じゃ、あんたも入るから」みたいな感じ始めたのが最初ですね。
ー5人兄弟って、お兄さん?、妹?弟?・・・
いや、全部いるんですよ。姉、兄、自分、妹、弟。5人兄弟とかは聞くんですけど、僕みたいにコンプリートしてるやつは聞いたことないですよ。(笑)
ー(笑)一番上は?
姉です。で、兄、自分、妹は年子なんですよ。だから中学区の時、家の目の前の中学校行ってたんですけど、僕が2年生の時は全学年に武井家が(笑)。悪さもできないですって。
|
|
 |
|
|
|
PROFILE
武井修志 a.k.a 1ST
178cm 75kg PG-SG 抜群の得点能力と勝利への飽くなき執念を武器に、世界中でプレイするプロバスケットボーラー
今期より、南米ペルーのプロリーグでプレイ!
|
|
|
|
|
|
|
 |
|
小学校6年生の時のプレーですね。5年生まで本当に遊びでしかバスケットをしていなくて、地元のクラブチームに入っていたんですど、兄は副キャプテンで主力でプレーしていたのに対して、僕は色々なことを試していました。例えばゲーム中はフックシュートしか打たないとか、右利きなのに左手でしかシュートを打たないとか。(笑)そんなこと無茶苦茶なことばっかやっていたので、おのずと主力っていう扱いではなくなっていきました。それが小6の時にあるキッカケからまじめに練習しようと思うようになったんです。
|
|
|
|
|
|
ーそのキッカケが思い出のプレーですね?
そうです。当時、中学生のOBと練習ゲームをする機会があって、そのときに放ったシュートなんです。なんていうんですかね、普通のレイアップじゃなくて、それはいわゆるバックシュートになったんですけど、本当にうまくかわしながらのバックシュートだったんです。何年も経った今でも、どこにディフェンスがいたとか、そのときの体の動きとかハッキリ覚えています。それをやった時に自分の中で、ただ単に点をとるとか、ただバスケをすることよりも、面白さの真髄はこういう事なんだと感じました。そういうプレーは周りも喜んでくれるし、“あいつあんなこと出来るんだ”みたいに思ってもらえます。
バスケをしていて、初めてうれしくて鳥肌がたつというのを感じた時でしたね。
ーその頃の夢は何ですか?まじめにバスケやる前は。
僕は小5でJリーグが開幕して(笑)
サッカークラブ入りましたね(笑)
ースゴク流されやすいですね(笑)
バスケットである程度動けるっていうのはわかってたんで、「やっぱJリーグだろ」みたいな(笑)
強かったベルディが好きになって、鹿島が優勝したらすぐ鹿島って(笑)。
それからバスケやるようになってからは漠然とプロてっていうのはありましたね。国内のバスケット事情がどうこうっていうよりもNBAがあるっていうのを知って、そこでプロのプレーヤーがいるのを知って、国籍とか国境とか関係なく、そこでプロでバスケットをしている人たちがいるんだったら自分もなりたい、って思ったのがひとつの転機でしたね。
ーバルセロナオリンピックのアメリカドリームチームもそのころですよね
そうですね。雑誌も月刊バスケットボールとか全然読んでなくてフープとかダンクとか読んでました。
|
|
|
|
|
|
|
いろいろあるんですよね(笑)。
ものを書いたり読んだりするのが好きだったので新聞記者にはなってみたいと思っていて。
それ以外には恐竜とか巨大遺跡とかすごい好きで、大学行った時も考古学研修っていうのがあって、そっちの方面に進もうか最後まで迷ってました。それは2週間程度のフィールドワークに出席しなければならなくて、そうなると大学に入る動機だったバスケがおろそかになるので、それは泣く泣くあきらめました。でも今でもそういった未知の世界に興味はありますね。好奇心旺盛なんです。知らないことを知る喜びが味わいたいっていうのが、大きな動機付けにはなっているんじゃないですかね。
|
|
 |
|
|
|
|
|
ープレー中に心がけているのも好奇心ですか?
そこも随分抑えるのに苦労したんです(笑)
プレーしてて、ここを通したら、パスを出すスキルもそうだし、見てる目もそうだし、面白いだろうなって。サッカーでいうオシャレなパス出そうみたいに気持ちが傾くときもあります。昔はそういうのガンガンやってて、結果が出た時の喜びというか感覚を知ってしまっている分、そこを抑えるのには苦労するんですけど、今は勝つために何をすべきかっていうのを大事にしています。100%自分の持っているものを出すことです。後になって「自分はもっと出来た」って言う人はどのレベルに行ってもいるので、そういう人になりたくないなと思っています。その時自分のできることはやりきる!ってすれば通用する部分としない部分ていうのが出てくるんで、通用する部分は自信にすればいいし、通用しない部分は課題として持ち帰って自分の成長に利用すればいいんです。そういう意味で100%出し切ることですかね。
ー人生で影響を受けた人はいますか?
影響されやすい僕が、今の考え方の基本になっているのは「バガボンド」のモデルの吉川英治の書いた宮本武蔵の“あり方”です。それは今の自分に近いものがあるのかなと。宮本武蔵の実像は今となっては知る由もないし、書物もどれほど信憑性があるかもわからないという意味ではそれを師と仰ぐのはどうかという部分もあると思うんですが、いわゆるの“あり方”、自分の道って言うほど仰々しくはないですけど、興味を傾けるものに関していろんな分野から多角的にアプローチできてなおかつ、それを自分の人間としての成長につなげるというか、著作であれどその部分にはすごく感じました。 それは高校の時ぐらいに読んでて、自分としても男子たるもの格あるべきみたいな部分はすごい感じたので、影響大きいですね。
ーバスケをやっててうれしい時はありますか?
勝った時だったり、自分のプレーがうまくいった時。
活躍するっていうのはアスリートとしては間違いなくうれしい時だし、それを含めて周りに認められるときですね。 勝つっていうのは自分たちのチームが相手のチームよりも勝っていたっていうのを知らしめる行為だし、自分が点を取って活躍するっていうのは、個人がどれだけ周りより優れているっていうのを証明する手段だと思うんです。 僕はあまり相対評価の中で生きていない、というか生きたくないという気持ちがものすごく強いのでしょう。自分の中での絶対評価が全部になってもいけないんですけど、周りからの評価だったり価値観だったりを全部考慮に入れたうえでの自分の中の絶対価値っていうのは大事にしたいと思っています。 でも、周りの相対評価と自分の中での絶対評価が合致する時っていうのはやっぱりうれしいですよね。
|
|
|
|
|
|
ー逆に苦しい時はありますか?
|
苦しい時の方が多いんじゃないかと思うんですけど。
苦しい練習している時とか、負けてとか、自分が冴えないプレーをしてとか。 自分が100%満足したゲームというのは、いままで一度もないんですよね。逆になくていいと思っていますし、これからもないと思っています。完全であることほどつまらないことはない。たとえば50点取ってチームも大勝するようなシチュエーションがあったとしても、じゃぁあの時にディフェンスに抜かれたときになんで抜かれてしまったのかとか、50点とったとしても全部シュートは入っていたのかとか、もっといい選択肢はなかったのかとか、そういった部分を突き詰めると、アスリートである以上100%満足はできないなって思ってるんです。 逆にそれでいいなと思っていて、不完全さゆえの完全さ以上のものというか、矛盾しているですけど、一生不完全ゆえの不満足というか、何かそれ以上を求め続けていければ、結果としてある時期の完全を超えられて、また上へ上へって上がっていけると思っています。 それがどっかで足をとめたときに、自分の足跡を確かめてどうだったって言えれば、満足・・・かどうかわからないですけど少しは満足って思えるのかなって。
|
|
 |
|
|
|
|
|
|