1. 名家に生まれたからゆえの苦悩
西田:このExecutive Athlete Talk Liveはエグゼクティブ・アスリートに直接インタビューする企画ですが、コロナ禍にあって今回初めてのWEB Meetingでのインタビューとなりました。どうぞ宜しくお願いします。
田口氏:こちらこそ宜しくお願いします。
西田:さて、田口さんの生い立ちからお聞きしたいのですが、田口さんはあの岐阜の名家、西濃運輸創業家のご子息ですよね。
田口氏:創業者田口利八の孫である父 義隆が三代目の社長で、私は曾孫になります。
西田:どんな幼少時代を過ごされたのですか?
田口氏:私は1987年にアメリカのロサンジェルス近くの町で生まれました。当時、父がアメリカにあったセイノーの子会社の責任者をやっていたのです。その後、2歳で西濃運輸の本社がある岐阜県大垣市に戻り、15歳まで地元の小中学校に通っていました。
西田:どんなお子さんだったのでしょう?
田口氏:小学校から中学校までバスケットをしていました。攻めるよりディフェンスが得意でしたね。性格としては当時はどちらかというと暗い子だったと思います。
西田:今はとても明るいキャラに見えますよね。
田口氏:地元で田口の名前は大きいんですよ。いろんな意味で耳目を集めてしまうので、そのプレッシャーもあって、何をするにも自信がなかったですね。勉強もあまり好きではなかったですし。
西田:なるほど。名門家に生まれたがゆえの悩みですね。
田口氏:高校入学と同時に両親が4年間の英国留学の選択肢を与えてくれたんです。でも、その当時は本当に何も知らなくって、英国には3時間くらいで行けると思っていました(笑)、ヒースロー空港に着いて初めて英語圏に来たんだと気付く始末です(笑)。本当に世間知らずでしたので、日本語が世界標準語だと錯覚していたんですね(笑)。
西田:それはある意味、肝が据わっていますね(笑)。
田口氏:それはそうかもしれません。祖父も父も物事にあまり動じないですし、母はいつも笑顔で楽観的です。どちらかと言うと母に似たのかもしれませんね。
西田:それで事前準備なしの留学は大変だったのではないですか?
田口氏:そうですね。セントローレンスという学校の寄宿舎に入りましたが、最初は英語が全くわからなくて本当に苦労しました。でも、せっかく留学したのだから、英語は頑張ろうと思って、英国人のルームメイトに一日6個の新しい単語を毎日教わり、わからない単語は英英辞典で調べ、日本語は話すまいと決意しました。
西田:教育システムも違いますよね?
田口氏:そうなんです。英国は、4年間のうち、最初の年が12科目、二年目が8科目、三年目が4科目、最終年度が3科目で、段々と科目数が減っていき、専門性を深めるという仕組みなんです。日本ではあまり得意でなかった勉強も面白くなってきて、地元の数学オリンピックで賞を取るまでになったんですよ。まぁ、入り口での英国の数学のレベルが日本に比べ高くなかったのもありますが、最初の授業で簡単な問題を解いたところ周囲に天才扱いされてしまって、それで勢いがついてしまったというのが真相です(笑)。その相乗効果というか、生活面でも積極的になり、寮のヘッド オブ ハウス(風紀委員のようなもの)を任せてもらったりもしました。
西田:それは凄いですね!やはり教育システムって大切ですね。例え日本でくすんでいたとしても、好きな物を追求できるカリキュラムは潜在能力を引き出してくれるんですね。それで、4年間の留学を終えて日本へ帰ってきて進学されたわけですね。
2. 麻雀から学んだ経営の神髄
田口氏:帰国後は学習院大学法学部へ進学しました。ただ、大学最初の日に大学での勉強のモティベーションは4年間ももたないなと直観的に思ったんです。それで、2年間で単位を全部取って、残りの2年間は麻雀に明け暮れました。
西田:なんと(笑)! 麻雀をされる経営者って多いですよね。有名どころではサイバーエージェントの藤田社長とか。やはり、麻雀と経営には共通項というか、麻雀が経営に活かされることがあるのでしょうね。
田口氏:あると思います。経営も麻雀も芯がぶれると負ける。結局、麻雀は確率なので“寄れ”があるんです。配牌にも流れがある。その流れを捉えてチャンスを見極めることが大切です。もちろん捨配から読むという意味で、データからわかる部分もあるのですが、チャンスが来るのをひたすら待って耐える、忍耐のゲームですね。
西田:なるほど。確かに経営に通じるところがあるのかもしれないですね。麻雀もある意味、頭のスポーツと言えるのですかね。
田口氏:eスポーツがスポーツのカテゴリーに入るなら、麻雀もスポーツといってもいいかもしれませんね。
西田:社会人になってからの話を伺ってもよいでしょうか?
3. セブンイレブンでの修行
田口氏:大学を卒業して、西濃運輸へは入らず、セブンイレブンに入社しました。もちろん、最後は西濃へ行きたいとは思っていましたが、他社を経験してみたかったのです。父からは3年という期限付きで許可をもらい、先方にもお願いして、通常は5年くらいかけて経験するプロセスを3年に凝縮して受け入れていただきました。
西田:その時点で既に特別扱いですね。実際に働いてみて、周囲の反応は気になりませんでしたか?
田口氏:もちろん気にかけてくれる方は多くいましたが、同僚や先輩など多くの方は普通に接してくれましたのでありがたかったですね。
西田:セブンイレブンでの修行からは何を学びましたか?
田口氏:当時は鈴木会長がいらしたのですが、鈴木会長の発信力は学びになりましたね。40年という短い期間であれだけ成長させたわけです。その発信力たるものに感動しました。全国からOFC(オペレーション・フィールド・カウンセラー)を全員集めて、会長が直々に話すのですから、その一人一人が受け取る熱量が違います。ゆえに、どの社員と話しても意志のブレは感じなかったですね。あとは正統性というんでしょうか?西濃に入社してからは特に思いますが優秀な社員はいっぱいいる中で、僕の出世は早いんですよ。そこに対し自分自身不安はありますし自信がないです。ですがオーナー家だからこそ考えられることや言えること、そして、できることがあるかもしれないという事もセブンイレブンさんでの経験から学びました。
西田:なるほど。経営の素地は麻雀で学び、帝王学はセブンイレブンでの職務経験から学んだということですね。修行を終えて西濃へ入ってからはどうでしたか?
4. 「照国」に込めた思い
田口氏:西濃に入って、一年間はドライバーをしました。その後、自動車販売、新規事業を経験し、現在のGENieへは2017年に取締役として入りました。
西田:GENieでは、経営理念に比叡山延暦寺の「一燈照隅 萬燈照国」(いっとうしょうぐう ばんとうしょうこく)を掲げていらっしゃいますね。GENieの業務内容は?
田口氏:お買い物代行です。買い物弱者を解消するのが目標です。農林水産省の定義によると、半径500メートル以内にスーパーがなく、かつ、65歳以上で車を持っていない方が買い物難民という定義ですが、現在そういった方が825万人もいるとされています。買い物弱者という社会課題の中の1つ(一隅)を照らすことで、いずれ大きな光として日本を明るくできるようになっていきたいと思っています。
西田:そんなにいるんですね。サービスの特徴は何でしょう?
田口氏:配達するスタッフですね。GENieでは“ハーティスト”と呼んでいます。ハート(heart)に携わる人(-ist)という意味でハーティストです。ただ荷物を届けるのではなく、サービス品質を届ける。来て安心する配達スタッフ、コミュニティーのハブになるような存在を目指しています。実際に、ハーティスト達がお届けすると、お客さまは嬉しそうにおしゃべりしてくれたりしますし、足の不自由な方へはご希望に応じて家に上がらせてもらい冷蔵庫の中に商品をしまってあげたりもします。そうなるとほとんど家族に近い存在です。
西田:ハーティストにふさわしい方を採用したり、育成したりするのは大変じゃないでしょうか。
田口氏:面接の段階で「人に親切にしたことはありますか?」という質問はしますね。応募してくる人もそもそも買い物弱者を救うことに思い入れがある方が多いかもしれません。。入社後の研修では実際に先輩ハーティストと一緒に宅配して、心温まるサービスを横で徹底的に見せます。独り立ちするまでには2~3か月はかけますね。ハーティストの7割ほどが女性で主婦の方が多いです。 そのうち約3割がシングルマザーです。ハーティストの中に助け合いのネットワークもあって、家庭の事情で急な休みが必要になった時などもしっかりとフォローしあえるようになっています。
西田:GENieではこれからどういうところを目指していくおつもりですか?
田口氏:当然ビジネスとしても儲かり、かつ、社会にも貢献していけるようになるのが理想で、もっとビジネスモデルを進化させたいと思っています。最終形はまだ描けていませんが、サザエさんに出てくる三河屋のサブちゃんのように、何でも気軽に相談できる頼りになるご近所さんのような存在を目指します。一方で、現在のモデルは労働集約型で、今後労働生産人口が減少していくのは確実なので、ハーティストのきめ細かいサービスは必要ないというお客様にはにはロボットなどを使った効率のみを追い求めたサービス提供も必要だと思っています。
5. 「日本代表」という殺し文句
西田:さて、本題の「ラッファ」について教えてください。田口さんはラッファの日本代表とお聞きしたのですが、このラッファというスポーツはネットで検索しても出てきません(笑)。相当なマイナースポーツのようですが、どのように出会ったのですか?
田口氏:ちょうどGENieに入社した頃です。シュアールという会社をやっている友人から紹介されて知りました。「日本代表になれる可能性が高い!」というのが殺し文句でした(笑)。実は父がかなり本気でトライアスロンをやっているのです。周囲からも父親がやるなら息子もやらないのかとよく言われるのですが、時間的にも投資的にも同じ土壌では父には絶対に敵わない。でも、異なるフィールドなら勝てるかもしれないと考えたんです。しかも、“日本代表”です(笑)
西田:なるほど。お父さまへの対抗心もあったのですね。具体的にはどのような競技なのでしょうか?
田口氏:一言でいえば、“陸上のカーリング”のようなものです。元々はスイスが発祥ですが、一番流行していてプロリーグまであるのはイタリアです。IOCが行っているワールドゲームズにも選出されていて、2年に1回ワールドカップもあります。ドーピング検査はIOCの下、オリンピックと同じ基準で行われます。競技としては、長さ26.5メートル、幅4メートルのフィールドがコートになります。まず、パリーノと呼ばれる4センチ大の玉を投げたところが的になり、その的にめがけて10センチ強の約900グラムの玉を1ゲームに4球ずつ投げて、どれだけ的に近づけることができるかで競います。世界大会やアジア大会は12点先取で行われます。テニス同様に、男女シングル、男女ダブルス、ミックスダブルスがあります。日本の競技人口はどれくらいだと思いますか?
西田:えっ、全然イメージがわきません。
田口氏:競技人口は今のところ僕らの友人中心に20人くらいしかいません。でも海外にある世界連盟には日本の連盟も登録されています。
西田:ラッファの面白さはどんなところでしょう?
田口氏:的であるパリーノ自体を動かせるので、場面展開を一気に変えることができて、一発逆点が狙え、戦略性が問われるゲーム性の高いところに面白さがありますね。26.5メーターのコートの中で4センチの的を狙うわけですから、当然技術も必要です。イタリアの猛者たちは90%の確率で的に当ててきます。イタリアでは専用コートが徒歩圏に10個くらいあるという環境の違いはありますが。日本にはまだ正式なコートは存在せず、一番近いコートで隣国の中国になります(笑)。
西田:練習はどのようにされているのですか?
田口氏:練習は公園でやっています。月に1~2回程度ですね。公園で的をめがけて玉を投げてワンバウンド以上させて当てる、ダイレクトに当てる、転がして寄せる、という練習です。ボールが重たいので室内で練習すると床がへこんでしまうんです(笑)。今はどこか遊休地にコートを作れないか、市役所と組んで引きこもりの子供のためにラッファを広めることができないか、等を検討しています。 老若男女がプレーできますし、年齢層も7歳くらいから70歳くらいまで幅広い年齢層でプレーできますので、コミュニケーションツールとしても良いのではないかと思います。
西田:日本代表として世界大会へは出場されたのですよね?
田口氏:昨年アルゼンチンのトゥクマンという町で世界大会に出場しました。チームで4人、監督入れて5人まで枠があり、その時は日本から選手兼監督がいたので4人で行きました。交通費は自費で、現地での宿泊等は世界連盟から補助がでました。戦績は22 チーム中19位。ほぼ同率の最下位ですね。全く上位には歯が立たない。結局、イタリアが優勝しました。
6. スポーツも仕事も如何に達成するかを考え続けることが大切
西田:このラッファのための練習を含めて、その他、取り組んでいる運動はありますか?
田口氏:ここ2~3年は筋トレですね。実はセブンイレブンでの修行時代には体重が100キロあったのです。痩せようと思ったのですが、自分にはランニングがあわなかった。そこで週に3~4回の筋トレを始めました。そのお陰で75キロまで減らしました。もっとも、昨年結婚して幸せ太りで88キロにリバウンドし、最近やっと80キロくらいまで戻したところです。コロナ禍でジムに行けないのが辛いですね。
西田:田口さんにとって、筋トレの効能とは何でしょう?
田口氏:効能はストレス発散ですね。すっきりします。アドㇾナリンもでますし、無心になれるので、頭の回転がよくなります。整理の時間にもなる。よって、仕事のモティベーションが高まります。重りをあげるときにいやなことを全部出すんですよ(笑)
西田:なるほど、それはストレスの解消になりそうですね(笑)。最後に、田口さんから、仕事とスポーツの両立にチャレンジしている皆さんへメッセージをお願いできますか?
田口氏:スポーツも仕事も同じで、如何に達成するかを考え続けることが大切だと思うんです。両立しようとしたときに、どちらかが優れていると、もう一つも自然と引き上げられて上手くいくようになると思います。また、自分がチャレンジしていることを周囲に発信することも大切だと思います。こうなりたい、こうありたいと思うことを敢えて発信するんです。私の場合、ラッファで世界大会へ出場した訳ですが、そのためには1週間仕事を休まなければなりませんでした。でも、常日頃からラッファのことも発信し続けていたので、周囲が自然と協力してくれて、1週間空けても大丈夫なように必死にお膳立てしてくれました。周囲に宣言して退路を断つことで覚悟も決まります。
西田:確かに一芸に秀でた人は、他のことも上達するのが早いですものね。また、周囲に発信するというのも、結局は自ら環境を作ることにつながりますね。素晴らしいメッセージをありがとうございます。名家に生まれたことに押しつぶされてしまうケースも多々あるなか、田口さんは十代でのアイデンティティ・クライシスを留学という手段で乗り切り、かつ、そこから自身の潜在的な強味を育んで、単純に父親越えにチャレンジするばかりではなく、自らの得意不得意を踏まえた上で、敢えて異なる分野で闘うという道を歩んでいる。それは、スポーツの分野にも生かされており、スポーツを通じて、ストレスの発散と集中力を養い、闘う環境を自ら整えている。本当にしなやかな四代目だと思いました。今日は本当にありがとうございました。
田口氏:こちらこそ楽しかったです。あっ、西田さん、田口家はそんなに名家じゃありません。案外普通の家庭ですよ(笑)