エグゼクティブアスリート

第6回Executive Athlete Talk Live

エグゼクティブアスリート
品川一治氏 プロフィール

1967年 東京生まれ。1993年に渡米。日米欧の広告、雑誌等の企画、撮影のプロデュースを行う。2010年にクロスメディアを駆使したPR、マーケティング、コンテンツ制作を行う株式会社トボガンを設立。ユニクロ、レクサス、Facebook、Netflixなど、グローバル企業の広告を企画プロデュース。また、現在はTVクリエイターギルド 株式会社VVQの取締役としても活躍。

 

1. 正義は属している社会の中で変わる

西田:コロナ禍でのインタビューにご協力下さりありがとうございます。本日はどうぞ宜しくお願い致します。

品川氏:こちらこそ宜しくお願い致します。緊急事態宣言が解除されるまではと、髭を剃らずにいたら、こんなに伸びてしまいました (笑)

西田:こんな期間でもないと、どこまで伸びるかは試せないですものね(笑)。まずは、品川さんの生い立ちから伺ってもよいでしょうか?

品川氏:1967年東京生まれです。父は山野学園創業者 山野愛子の息子でしたが、8歳のときに両親が離婚したので、山野の姓からは抜けました。品川は母方の姓になります。既に父が他界していることもあって山野家とは交流はありませんが、従妹同士は今でも仲良くしています。

西田:弟さんはあの品川庄司の品川ひろしさんと伺っております。ご兄弟揃ってご活躍ですが、子供の頃はどのように育ったのでしょうか?

品川氏:山野家は凄くアメリカナイズされた家でした。従妹たちに海外生まれがいたり、父親を含め叔父は全員ミドルネームをもっていましたし、父母はマミー、ダティと呼ぶみたいな習慣がありましたね。一方で、両親の離婚後に父親代わりになってくれた方は、「お父様、お母様と呼びなさい」「誕生日とかクリスマスを祝うのは西洋の考え方だからうちは正月しかやりません」みたいな強烈に昔気質の方でして(笑)。そういう両極端な環境で育ったので、子供ながらに、「人が言うことはころころ変わるんだ。絶対的に正しいことなんてないんだ。正義はその時に属している社会の中で変わるから、その流れの中で上手くやるしかないんだ」ということを学びましたね。

西田:それは痺れる原体験ですね。でもある意味、生きていく上での本質を学ばれたわけですね。それで、今の広告コンテンツ制作のお仕事をされるようになった切っ掛けはなんでしょう?

2. ハリウッドでの挑戦

品川氏:大学生時代を含め20代前半はバブルの余韻も残る時代で、ちょうど「フリーター」という言葉が世に出始めた頃でした。当時は雑誌の編集のバイトをしていましたが、日雇いの土方の手伝い等をガッとやれば学生でも100万円くらいのお金を作ることは難しくなかったので、生きていくことを割りと安易に考えていたかもしれません。そして、25歳の時に、これもあまり深く考えず勢いだけで渡米し、ハリウッドの独立系スタジオApricot Entertainmentにて住み込みの丁稚奉公からスタートしました。

西田:私も品川さんとほぼ同じ世代なのでその時代の雰囲気はわかります。でも、いきなりハリウッドですか!もともとクリエイティブ系を志向されていらしたのですか?

品川氏:そうですね、映像は好きでしたね。そのスタジオにて俳優学校 Hollywood Actors Academyの創設等もしましたが、1996年に独立して、日米欧の広告、雑誌等の企画、撮影のプロデュースを 主業務としたKaz coordination inc.(現tobogganUSA)を立ち上げ現在に至っています。最初は日本でも少し経験のあった雑誌の仕事から徐々にニーズの高かった広告分野へとビジネスを広げていった感じですね。

西田:ビジネスは順調に拡大したのですか?

品川氏:日本企業がハリウッドで何か仕掛けるときのエージェント的な仕事のニーズは結構あって、いろんな相談がひと伝手でどんどん舞い込むようになりました。でも、2001年の9.11で全てを失ったんです。9.11を境に仕事が全てなくなりました。

西田:人生観が変わるような衝撃的な事件でした。

3. 9.11の衝撃

品川氏:当時、二度目の結婚もして子供も生まれた時でしたし、その後、直ぐに交通事故にもあって、さすがにこれまでの安易な生き方ではダメだと思いましたね。保険も全て見直し、家を買ったんです。それが、あのリーマンショックの切っ掛けになったサブプライムローンによる住宅バブルが始まるタイミングでした。買う先から値上げりしていくので、転売して面白いように儲かりました。更に幸運だったのが、住宅バブルが弾ける前に、何か少しおかしいなと思って、全て売り抜けていたことです。

西田:投資の格言に、「もうはまだなり、まだはもうなり」というのがありますが、普通は天井では売り抜けられず、ババを掴むはめになるのですが、それをやってのけたのですね!

品川氏:なぜか身軽にしていましたね。自分としては、住宅転売で儲けようというつもりは全くなくて、9.11を機に、ビジネスがダメになった時のリスクヘッジ手段をいくつか持っておこうと思った中での一つの手段だったんです。

西田:さすがハリウッドスター的な話ですね(笑)。でも、不動産投資は本業のビジネスリスクヘッジというポートフォリオ運用の一環であり、そうすることで、気持ちに余裕ができると、ビジネスにも良い影響を与えたのではないでしょうか。

品川氏:それはあるかもしれません。今は世界四拠点(LA、シンガポール、アムステルダム、東京)でやっていますが、私は営業というのはほとんどしたことがなくて、人伝に話が舞い込んでくることが多いですね。

4. Kaz的 “仕事の流儀”

西田:ビジネスが向こうからやってくるということは素晴らしいですね。売り込まずに売る、売れる、のはビジネスの理想ですけど、それは、品川さんのどのような姿勢から生まれてくるものなのでしょうか?

品川氏:そうですね。ビジネス以前に、目の前にいる人の問題解決を何よりも大切にしていますね。何とかしてあげて、喜んでもらいたい、ただその思いがあるだけです。私はプロデューサーなので、自分が何かクリエイティブするというよりも、できる人を連れてくるのが役割です。自分一人の能力範囲ではしてあげられることは限られますが、分野ごとに得意な人を連れてくれば、より幅広い仕事ができる。大きな仕事から小さな仕事まで、それに合わせたチームを組成することも可能です。ネットワークとアッセンブルスキルがあればそれが実現できるのですよ。その意味で、私は選択と集中をしていません。ビジネスとしては選択と集中をするのが圧倒的に勝利への道ですが、お金を儲けて会社を大きくすることよりも、楽しいと思えることをするのが私には優先されるんです。とにかく、いろんな人といろんなことがやりたい。ですから、舞い込んできた仕事は基本、断らないで全て受けています

西田:なるほど、そういう姿勢が品川さんの原点なのですね。プロデュースする上で特に気を付けていることはありますか?

品川氏:裏切らない、嘘をつかない、というのは当然のことですが、特に大切にしているのは、“相手の立場で考えて想像する”、ということですね。広告一つとってみても、うちは受注・発注のいろんなフェーズをやるんですよ。広告の一般的な流れって、例えば某大手カジュアル衣料チェーンのCMを作りますといった時にまずは広告代理店に相談して、広告代理店が制作会社に発注して、制作会社が作るじゃないですか。これが基本的な流れなんですね。それで作るときに制作会社が日本で撮影できればいいですけど、海外で撮影したいとなった時に海外の会社に発注するわけです。当社の場合は、拠点によって、一次受け、二次受け、三次受け、そのどのステップからも受注するケースがあります。そこには、それぞれの立場での目線があるんです。何故今回はうちに来たのか、今は何を求めているのかを想像して、求められているものを先回りして満たす。私たちには物理的に売っているものがありませんから、相手に合わせて相手の足りないものを探し出すんです。

西田:まさに“想像する”というのはそういうことなのですね。でも、“想像する”と口で言うのは簡単ですが、実際には“コツ”のようなものがあるのでしょうか?

品川氏:それはもうひたすら想像するしかないんですよ(笑)。私がよく新人に言うのは、「呼吸するように想像する」ということです。プロジェクト終了後に社員と1 on 1 Meetingもよくやりますが、社員に課しているのが、上手くいったことを3つ、上手くいかなかったことも3つ、それぞれ挙げさせて、上手くいかなかったことに対しての改善策を想像させるんです。そうやって、頭でひたすらイメージして、現実とのGAPを埋めて調整する、その繰り返しが大切なんです。

西田:「呼吸するように想像する」ですか。もう突き詰めろということですね。それで実際に人材も育っているんですね。

品川氏:そうですね。一応、業界では何人か“Kazチルドレン”と呼ばれる人材が活躍していますよ。

5. アフターコロナの世界

アフターコロナの世界

西田:それは素晴らしいですね!ところで、その“想像する”の脈絡で、コロナ後の世界はどのように変わっていくと思いますか?

品川氏:最近まで凄く変わると思っていたのですが、もともと変わりかけていたものは加速されるでしょうが、変わることへの反発もあるので、現実にはまだら模様になるかもしれませんね。例えば、シェアリングビジネスは伸びかけていたわけですが、コロナにより不特定多数の人と共有することによる心理的抵抗感が懸念される事態になった。オンラインミーティングも意外に問題なくできているという意見が多い一方で、やはりオフライン、リアルミーティングが一番という声も根強くあります。東京はオンラインでよいが、地方はむしろシェアオフィスが伸びるなど、恐らく、そこに地域差がでてくるかもしれません。ヒトの意識や様式は多様化しているので、変化も一辺倒にはならないのではないでしょうか。

西田:そんな中で、品川さんはどう戦おうと思っていらっしゃるのですか?

品川氏:9.11のテロの後、空港のセキュリティが厳しくなったじゃないですか。スーツケースも鍵を閉めないようにと言われましたよね。でも、最近、セキュリティチェックがなくなったなと思っていたら、ある時、スーツケースの鍵が世界統一になっていることに気が付いたんです。皆の意識が向かなくなった隙に、誰かがスーツケースの鍵の世界標準を呼びかけ、専門メーカーは元よりラグジュアリーブランドをも巻き込んでの難しい調整をやってのけ、実現させていたわけです。世界標準化は、消費者や国の利便性のみならず、物凄い利権を生んでいるわけですが、頭のよい人達は、誰も気に掛けなくなった影で、こうした動きをしているんですね。変化はチャンスであり、ビジネスのネタはどこにあるのかわからないとつくづく思います。

西田:品川さんの今後の野望は、そういった密かなネタを探すことでしょうか?

品川氏:そうですね(笑)。野望というよりも、課題があって、その解決に向けて手を差し伸べること自体が楽しいですね。自分はゼロからイチを作り出すことは得意ではないですが、そういうゼロからイチを作り出す思想とかビジョンを持っている人を何とかサポートしてあげたいとは思っています。

6. トレイルランという瞑想

西田:ところで、そろそろ本題ですが(笑)、品川さんはマラソン、トレイルランをされているとお聞きしました。はじめられた切っ掛けは何ですか?

品川氏:高校時代は陸上部でしたが18歳以降43歳位までほとんど運動らしい運動は一切していませんでした。43歳で米国から帰国した際に、あまりの体力のなさに愕然として、2キロのウォーキングから始めたのが切っ掛けですね。

西田:他のスポーツには興味がなかったのですか?

品川氏:基本、一人でやるのが好きなんですよ。ボールゲーム等は見るのは好きですが、自分がやりたいとは一切思わない。そもそもチームプレーとかに興味がないんですよ。

西田:ウォーキングからフルマラソン、トレイルランに進化したのは早かったのですか?

品川氏:そうですね。自然に移行していましたね。2015年に房総丘陵トレイルランに出たのが初めてです。フルマラソンも同年の湘南国際マラソンに出たのですが、4時間35分で完走しました。それで、「これは案外、自分は走れるのではないか」と調子にのってしまって(笑)、翌2016年4月の霞ヶ浦マラソンに出たのですが、その時は、天候が悪かったこともあって、思った以上に走れなくて途中棄権となりました。それが悔しくて悔しくて(笑)

西田:すぐリベンジされたのですか?

品川氏:夏にマラソン大会がなかったので、家族旅行で無理矢理ヘルシンキへ行って、ヘルシンキマラソンで完走しました。その後、いろいろ出ましたが、2018年の東京マラソンで、3時間35分04秒という記録を出しました。

西田:それは速いですね!それにしても、過酷なトレイルランと併用していらっしゃるんですね。

品川氏:マラソンは考える余裕がありますが、トレイルランは考える余裕がないんです。ひたすら上るか、下るか、次にどこへ足先を進めるのか、どこに着地するのか、その一瞬一瞬の攻防なんです。なので、私はトレイルランを「山とのセックス」と表現したりしますが(笑)。

西田:確かにトレイルランはキツイそうですよね。

品川氏:トレイルランは途中で止められないんです。止めても結局自力でゴールまで戻らなければならない。マラソンのようにタクシーでは帰れないんです。出場する度にそのあまりの辛さに出たことに対する後悔が毎回襲ってきます。マラソンは雑念が入りますが、トレイルランは一切他のことを考えさせないですね。

西田:それはある意味、瞑想の状態に等しいかもしれませんね。

品川氏:そうかもしれません。なので、自分には心の栄養になっているような気がしています。

西田:普段はどのように練習されていますか?

品川氏:基本は近所を走っていますが、平日は仕事があるので、土日に集中して走ります。一回10キロ~20キロですね。トレイルランを本気でやるのであれば坂道をやらないとダメで、普通のマラソン用の筋肉だけだと特に下りがきついので、前太ももも鍛えなくてはなりません。トレイルランはマラソンの練習にもなって、前後の筋肉の使い方がとても良くなるので結果的に意識しなくてもフォームが良くなってタイムがどんどん伸びます。マラソンのタイムを上げたいときは月に1回山を走るようにすると、インターバルにもなるのですぐタイムが伸びますよ。

7. 走ることは“一手多く考える”ための余裕を生む

走ることは“一手多く考える”ための余裕を生む

西田:マラソンやトレイルランは仕事や生活にどのような影響を与えていますか?

品川氏:一つは体力作り。47歳の初マラソンからタイムは年々上がっています。トップアスリートならいざ知らず、例え、始めた年齢が幾つであったにしても、それなりに成長するんですね。そしてリフレッシュ。体力と気力は連動します。仕事で最後踏ん張れるか否かは体力勝負ですから。体を動かすことで精神力が強くなり、それにより、余裕が生まれます。ここでいう余裕とは、“一手多く考えられる”ということです。先を読むには才能が必要ですが、一手多く考えることは誰にでもできます。

西田:なるほど、“一手多く考える”ですね。

品川氏:私は社員にも、「頑張るは禁止」と言っているんです。頑張ってできることはできたとは言えない。“プロは再現性”です。打率が高いことが大事です。特にネット社会では素人のまぐれ当たりと戦わなければならないわけですから、余計に再現性を上げ、打率を上げなければなりません。そのための心のゆとりをつくるのが体力だと思っています。病気になるのはどうしようもありませんが、元気に動くことはある程度コントロールできます。走ることは準備もいらないですし、一番効率の良いスポーツではないかと思っています。

西田:マラソンやトレイルランでの今後の目標はありますか?

品川氏:去年はレースに出られなかったのですが、今年もコロナでなさそうなので、来年こそはまた海外のレースに積極的に出ようかなと思っています。やはり、フランスのウルトラトレイル・ドゥ・モンブランやアメリカのバットウォーターには挑戦してみたいですね。

西田:ところで、弟さんとは一緒に汗を流すことはあるのでしょうか?

品川氏:弟とは彼がモスクワ映画祭に監督として招待された時に、一緒に行ったのですが、現地で一緒に走ろうということになったものの、弟は外では走らないんです。私は室内では走らない。なので、結局、バラバラに汗を流していましたね(笑)。決して仲が悪いわけではないですよ(笑)。

西田:最後に仕事とスポーツの両立を目指している方へメッセージをお願いします。

品川氏:タイムマネジメントが一番難しいですよね。自分も平日は仕事が気になって気持ちが向かないので走れません。その分、土日はがむしゃらに走ります。人それぞれに、タイムマネジメントができるやり方でやればいいと思います。

西田:素敵なお話をありがとうございました!

品川氏:こちらこそ、少ししゃべり過ぎたかもしれません(笑)。